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仕事・夢・勉強・生活 いろいろしのいできた記録。今をしのぎたいあなたに。

倒れるまで歌う小学生

小学生の時に入ることになった、今では考えられないくらいの、結構スパルタな合唱団のお話。

自由参加型の合唱団に入れられる

私の小学校には「合唱団」というものがあった。クラスやクラブ活動、委員会などと別で組織された団体で、小学校4年生の途中から入団できた。

うちの小学校は、毎年、NHKコンクールやMBSラジオコンクールなどに出場するような、有名校だったみたい。
(ちなみに私たちの代は、NHKコンクールの時に自由曲で伴奏なしのアカペラ曲で挑んだことで後半音が若干下がり、予選で敗退。MBSのみ出場)

母のご近所ネットワークにより、私は無抵抗で入団。

今もそうだけど、何にしても断るのって難しい。まだやってみてもないから断りようがなくないか。
私は基本、何でも受ける。気が弱いからだと思っていたけど、もしかしてそういうのは先天的だったのだろうか…

私の課題曲は「わりばしいっぽん」でした

第84回(平成29年度) NHK 全国学校音楽コンクール課題曲
Nコン2017 テーマは「夢」

〈収録曲〉 小学校の部 「いまだよ」(同声二部) (作詞:宮下奈都 作曲:信長貴富) …

パート分けでアルトになる

小学生でも、周囲の物事が理解できるタイプは、合唱団の存在は知っていたはずであった。なぜなら学校行事の音楽会では、各クラスの出し物に加え、合唱団が花を飾るからだ。
普通はそういうのを見て、憧れたり嫌がったりするのではなかろうか。まぁ私はぼんやり生きてたのだけど。

言われて見れば低学年の時に、近所の怖い(私をからかうから)お姉ちゃんが歌っているのを見た記憶はある。

曲のタイトルは覚えていないが、ちゃんとしたメロディラインではなく、こちらもアカペラというか擬音語というか、

「ずどどど、すどどど、だだっ、だーーー」

みたいな歌い始めだった。その時のお姉ちゃんの顔は真剣そのもので、その集団は一丸となっていて、怖いとさえ思った。

思えばそれが合唱団を初めて見た時だったのだろう。「合唱団」として認識できてないので、それが評価にはつながらない…

母が前々から合唱団を推奨していたので入ることにしたが、とくに歌が上手い訳でもなく、消極的だったのでいじめられてばかりだった。
しかも、いじめっこ達も合唱団に入ると聞いて、「また何かされるなぁ。」と思っていた。

入団と同時に、ひとりずつ先生のピアノに合わせて声を出す「パートを分け」という儀式があった。その子の声域や声質を判断するのだ。

私は、「アルトの上」。声は高いので、てっきりソプラノになると思っていたが。
まれに六部合唱になるときがあって、その時は上から5番目になるパートを言い渡された。

そう言えば、いじめっ子たちは、仲良くソプラノだったので、それをネタに何かを言ってきてたな。

だからこれ買ったのだろうな
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合唱団の練習は厳しい

合唱団には、小学4年生の途中から6年生までが在籍しており、学年をまたいで朝練、放課後練が行われた。

朝練は毎日、手鏡を持参して自分の喉の奥を見ながらの発声練習をする。

発声練習の前にも、空気をお腹に入れて口から細く息を吐く「ブレス」という練習もあった。(「レ」を上げて発音する)

歌を歌うことはなく、発声練習が終わると速やかに各クラスに分かれた。

放課後の練習は週2回だったような。なにせ、コンクール前の練習以外は、毎日やることはなかった。

パートごとに分かれて曲を覚え、ある程度たったところで全体練習がある。

私は、いじめっこも上級生もこわかった。それに先生はもっとこわかった。小学生相手だけれど、目を剥いて怒る。

「何度言ったらわかるんだ、そこの歌いかたはそうじゃないだろ。遠くに森がみえているのか?」

そんな感じだ。上級生にしても友達にしても、はきはきしない私など、相手にしてくれる訳がなかった。

だから、だんだん練習をさぼるようになった。特にお咎めはなかったが、毎日、先生と顔を合わさないように気をくばったりして心苦しかった。逃げるように帰っていた。

 

転機となったクラス替え

5年生のクラスになり、あぁまたいじめの構図が変わるなぁと達観していたのだけれど。(4年生は学期ごとにいじめてくる子がちがった)

なんと!小学5年生には、吉田あゆみさんがいた。東叙子さんも松本真弓さんも。実在人物である。(これを見たらお礼がしたいので連絡をください。)

吉田さんが「あゆって呼んで」というところから始まり、私の小学生生活は劇的に変わったのである。

電車の中でスマホで下書きしながら、昔を思い出して泣きそうである。

 

彼女らも、合唱団に所属していた。先ほどの並びでいうと、ソプラノ、メゾ、アルトにそれぞれ所属しており、私はあずと一緒だった。

そう、私は彼女らに誘われて合唱団に再び行くようになったのである。久々に音楽室に入った時の気まずさ余所者感と言ったらない。

練習に出てないので曲はまったくわからず、適当に口パクでついていった。その時、やたら歌っていたのは「空駆ける天馬」同じように歌えたらどんなにか楽しいだろうなという、かっこいい合唱曲だ。(今聞くと、古いけど~)

歌えなくてもそれでも、楽しかった。話をしてくれる子がいるって楽しいのだなぁ。

彼女たちはどちらかと言うとキラキラしたグループに所属していたので、私はもういじめられることはなかった。

4年生の時のいじめっこたちは、いつの頃からか合唱団を辞めていたし。

 

激しい夏休みの練習

コンクールは秋だったのだろうか。夏は、クーラーのない教室で、ほぼ毎日のように歌っていた。

窓を全開にはしているものの、風がない日なんかは、すごく熱気がこもる。なにせ、30人以上が歌い続けているのだから。

私が倒れたのは、1度だけだったと思うけれど、多い日は1日に4人くらいが別室で横になっていた。

毎日のように、差し入れを持った母達が来ていたので、介抱してもらえていたけれど。

よく考えたら恐ろしい。当時は「日射病」という言葉はあっても、「熱中症」はなかったし、数人が気分が悪いと倒れていても、いつものことなのでそんなに気をとめてなかったのだ。

先生も細いのに無邪気に、指揮を取っていた。まぁだから、有力校だったのだろうけど。

 

今でも、何曲かは歌詞が頭に入っている。若年齢のときの訓練ってすごいな。

そして改めて、気は弱かったけどまぁまぁ私強いじゃん。

練習復帰してからは、ほぼ全部練習行ったしね。

 

そんなこんなで小学校も切り抜けたよ。