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仕事・夢・勉強・生活 いろいろしのいできた記録。今をしのぎたいあなたに。

初めての仕事-船のホールスタッフ(前編)

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はじめて仕事をするにあたって

あなたは今、何の仕事をしていますか?どうやって決めましたか?

夢とか希望、やりたい業種・職種がはっきりしてる人はほんとうらやましい。次に何をすればいいか、人よりちょっとわかってるから。

小学校、中学校、高校と。なんとなく生活をしていて、切羽詰まったこともなかったので、まったく将来の職業について考えてこなかった。
習い事、部活動をして、試験前には勉強をして、寝る。それだけの学生時代だったなあぁ。
そんな私でも、今は転職3回、職種3つ目のベテランの社会人となることができた。
もしあなたが今、どんな仕事をしたらいいかわからなくても、たぶん大丈夫。世の中には、わかりやすい仕事以外にも、よくわからない仕事もたくさんあるのだ。
興味を持ちさえすれば、どんな仕事もいずれ、血となり肉となり、あなたのものになるでしょう~

目次

  • 仕事ってどんなもの?
  • 人の真似でバイトを決定
  • 急な環境の変化、しかし友達ができた
  • バイト経験で自分を発見

仕事ってどんなもの?

ブログを始めるにあたって。
最初の文章が仕事だなんて、私はそんなに仕事人間だったのか…

さて、みんな何を基準に仕事を選んできたのだろう。
夢とか希望の職種目指して一直線の人もいるだろうけど。

私は、そのへんによくあるような家に生まれ、義務教育を受け普通科の高校に行き、18才の割りに同級生と比べても結構無知で、それを問題とも思っておらず、両親になにかを相談することもなく、淡々と短大が始まるのを待っていた。世間に疎い、ある意味ピュアなw女であった。

幼稚園・小学校時から、具体的な希望がなく、お誕生会で発表させられた将来の夢「お姉さんになりたいです」すら友達の真似。

家庭環境にも当時でいう看護婦や保母さんなど専門職などなく、祖母は祖父を手伝う自営、母は点々としたパートアルバイトであったこともあり、これといった職業を認識して生活をしていたことがない。

普通科を卒業をして、中学時代ちょっとくらい成績の良かった語学の学校に進むことにしていた。(高校ではひどい成績だったのに!)なんとなく、大学に行けば自動的に道が開けるような気さえしていた。まだ就職氷河期が言われておらず、大した危機感もなかったし。

 

人の真似でバイトを決定

初めての仕事は、高校を出てからのアルバイト。「幼馴染がアルバイトをするらしいよ、あなたも行ってみたら」という母の何気ない一言からスタートしている。母なりに何も考えてない、自分から行動しない娘を心配していたのだろうか。

そこまで仲のいい幼馴染でもなかったけど知り合いが居る安心感と、「船」でのウエイトレスというのが目新しく、さらに事前研修があるというので安心して、内気な私がなぜか接客業をするという流れになった。そんな人前に出る仕事するなんてね。

どうやってアルバイト応募をしたのかも忘れてしまったが、勢いでクルーズ船のオープニングスタッフにもぐりこんでいた。

このようなクルーズ船:ルミナス神戸

オープニングスタッフというのはありがたい。事前に時間を割いてアルバイト達を教育してくれるのだ。(当時は非営業期間があったので、そのオフの期間に集中研修があるのだ。しかもバイト料が出るwまだバブル後半だったからかもしれない)

見るもの聞くもの全て初めての中、一通り研修を受け、できないなりにホールに立ち、食事を運び、数か所の名所や船の特性を覚え、観光案内のようなこともした。
緊張してレジは打てない、ジュースはお客さんにかける、持ち回りのスープは重くてぐらぐら、肉は落とす、それでもなんとか、なんとか...

社員と常勤配膳は恐かったが、バイト仲間は優しかった。(みんなもやらかしているから)

 

急な環境の変化、しかし友達ができた

船という閉鎖的な特殊環境で、バイト仲間とは家族のように仲良くなり、言いたいことも言い合い、相談し、のちにつながる友人も数人ここでできた。
もちろん、常勤配膳からのいびり、社員のバイト贔屓、バイト同士の喧嘩、男女関係のごたごた、夜遊びが過ぎることへの家族からの怒り、本当いろんなことがあったのだけれど。

それをネタにバイト同士で連携を取り合って切磋琢磨していたような。

私は、しぶとい。本人はそう意識してなかったけれど、しぶといんだと思う。

可愛いげのない私であったので特別重宝されることもなかったけれど、腐ることもなく、モテる友達を横において「お前が邪魔やねん」呼ばわりされても、なぜか辞めるという選択肢はあまりなかった。昔いじめられていた経験があるので、耐性はあったのだろうか。

特殊な閉鎖的な環境に、幼馴染が早期に離脱するも、こちらは辞める気配はまったくなく、それなりに(ロマンスなどはかすりもしないまま)ほけほけ2年は余裕で過ぎていった。

男女問題は巻き込まれないほうが続けやすいし、仕事を覚えてしまえばあとは流れ作業も同じ、お金稼ぐって楽しいではないか。

高校まで、まともに友達ができなかったことも大きいだろうね。仕事を介していると、自ずと人となりがわかり、自分の感性に会う人が見つかりやすい。私に近い人(同性ですよ)が職場にいる、それだけで、辞める選択肢はなかったのかも。


その船の中で、夏休み期間に始まった社員さんの気まぐれ「ワイン販売グランプリ」が、その後の私の職種に大きく影響してくるのである。

 

あっさり甘く、女性にも男性にも受けがよい。地域の名産。
クルーズでよくおすすめしたワイン:神戸ワイン(白)

つづく